「問題の模倣」からの脱却

最近、研究の「新規性」を確保する際に意識していることがあります。それは、無意識的に他人が提唱した問題を模倣しないということです。フランスの社会学者ガブリエル・タルドが1890年に出した『模倣の法則』に、こんな一節があります。

ある問題の模倣的普及とその問題の解決法の模倣的普及は、はっきりと区別しなくてはならない。ある解決法がこちらで普及し、別のところでは別の解決法が普及しているからといって、どちらにも同じ問題が普及していたことには変わりがない。(中略)毎日のように新聞が提起している何らかの観念について、大衆は「これに賛成する」側と「これに反対する」側という二つの陣営に分けられる。しかし両陣営とも、そのとき提起され、押しつけられたこの問題にしか関心をもとうとはしないのである。

「問題の模倣的普及」は研究の世界でもよく見られます。例えば、「21世紀型スキルを伸ばせられていないのは問題である」とか、「グローバル人材が育成できていないのは問題である」とかです。

「問題の模倣的普及」は、同じ問題意識を持った研究者が増えるメリットやその領域の議論を深めさせるメリットがあるといえます。しかし一方で、「新規性」が必要な研究者にとっては問題を模倣しないメリットもあります。

既存の問題を模倣した場合、主に新規性を出せる部分は「解決方法」になります。そのため、既存の数多くある解決方法にはない別の新規性を持った解決方法を考える必要があります。ところが、問題の模倣を行わず、重要かつ新しい問題を見出すことで新規性を獲得できた場合、解決方法自体がない場合が多いため、自由に解決方法を考えるだけで新規性を出せることがあります。

私の専門である教育工学の世界では、節目節目で「これまでの問題の模倣」を脱却する時期がありました。例えば、行動主義に対する認知主義の登場、認知主義に対する状況論の登場などです。当然ですが、前提レベルで新しい問題が出された後は、新規性のある解決方法が量産できるので、その領域の研究が大きく進むことになります。

ところが最近、「自分は無意識的に問題を模倣していないか」と思うことがあります。偉大な研究者に、学会に、政治組織に、「これは取り組むべき重要な問題だ!」と先手を打たれると、無意識的に「じゃあ、その解決方法を考えるか」となりがちです。逆に、「いや!それは重要じゃない!」と反論しても、タルドのいう「問題の模倣」からは脱却できません。

では、どうすれば「問題の模倣」から脱却できるのでしょうか。タルドはこんな一節を残しています。

ただ少数の非社交的な人々や部外者だけが潜水艦に乗り込み、社会という大海原の底に潜って、まったく現実性のない奇妙な問題についてあれやこれやと思いをめぐらしている。そして、彼らこそが明日の発明者なのである。

人はおそらく無意識レベルで他人が提唱した「問題の模倣」をしてしまうのだと思いますが、できるだけ自覚的に「問題の模倣」から脱却し、自分の専門領域で新しい問題を提案できるよう、非社交的になって奇妙な問題について考える時間を増やしたいなと思います。

おしまい。