学会論文賞をいただきました

全国社会科教育学会から、2016年 研究奨励賞をいただきました!2016年の学会誌『社会科研究』に掲載された論文の中から1本選ばれる、いわゆる論文賞です。大変光栄です。ありがとうございます。

受賞論文は先日掲載された、「池尻良平, 澄川靖信(2016)真正な社会参画を促す世界史の授業開発 : その日のニュースと関連した歴史を検索できるシステムを用いて. 社会科研究, 84, 37-48.」(http://ci.nii.ac.jp/naid/40020897177)です。

今回の受賞論文は、実は4年越しで形になったものでして、本当に多くの方に育ていただいたものだと思っています。ものすごく長くなりますが、感謝の意も込めて少し書きたいと思います。

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僕が卒業した「学際情報学府」という大学院は、学問と学問の際の領域を研究するところで、僕は「教育工学×歴史学習」の領域で研究をしていました。指導教官は「教育工学」の先生だったので、教育工学の知識や文化などは自然と身についたのですが、「歴史学習」に関しては東大に研究室がなく、自力で文献を集めて勉強するしかありませんでした。なので、海外の文献や論文を読みまくっていたのですが、その際、『社会科研究』という国内の学会誌があることを知り、20年分ほどレビューをしていました。

中でも原田智仁教授の論文は自分の研究関心と近く、度々引用させていただいていました。そんなこんなで無事修論を書き終わり、『日本教育工学会論文誌』に投稿して無事採録された後くらいから、「歴史学習」の方にも学会参加し、論文を書きたいなと思うようになりました。

そこで2012年、当時博士課程2年生だった頃に、投稿論文用の原稿を2種類持って、まさに今年の開催大学である兵庫教育大学の原田智仁 教授に相談に伺いました。その時に、全国社会科教育学会の価値観や論文を執筆する時に気をつける方が良いこと、オススメの海外の文献、関心の近い全国社会科教育学会の先生方などを教えていただきました。

同じく2012年、初めて全国社会科教育学会全国研究大会に参加し、「歴史的知識の現代社会への転移に関する考察」というタイトルで発表をしました。その年の懇親会は、原田先生と当時他大学の院生で知り合いだった斉藤くんの2人としか話せる人がおらず、何とも寂しかった記憶があります。

その後、先ほどの発表原稿を修正して『社会科研究』に投稿したのですが、査読で不採録という結果になりました。僕が査読で指摘されたことを十分に理解できなかったのが原因でした。

翌年2013年の全国社会科教育学会では、斉藤くんの企画で「社会科教育研究は何のためにすべきか」というパネル式発表をしました。僕は「教育工学からみた社会科教育研究」という発表をしたのですが、司会をしてくださる草原和博先生と後藤賢次郎先生と打ち合わせをする機会があり、その際に「社会科教育」とは何かについてひたすら聞いていたのですが、それがとても勉強になり、ようやく査読で言われたことが何だったのかがわかり始めるようになりました。また、この年は受賞論文で触れている、ニュースと関連する歴史を自動で提示するシステムの構想をポスターで発表したのですが、大御所の先生方が気にいってくださったようで、論文投稿に向けて頑張って、とエールも贈っていただきました。

2013年4月、特任助教として研究者番号を与えられ、スタートアップという新米研究者が研究予算を獲得するための科研費を申請しました。結果が返ってくるのは9月なので、それまでは博論を執筆する日々を過ごしていました。

そんな時、大学院の情報処理系の友人である浅野くんの紹介で、コンパイラを研究している東京理科大学の澄川靖信くんと出会いました。受賞論文の共同研究者です。彼はバリバリの情報科学の院生だったのですが、僕のシステムの構想を話した時にすごく興味を持ってくれました。僕もプログラミングに興味があったので、彼の紹介してくれた情報科学の勉強会に参加したりもしていました。

そんな折、さっきの科研費の結果が返ってきたのですが、結果は不採択。がっくりしながら澄川くんに話をしていたんですが、その時、彼が「面白い研究なんだし、予算がなくてもやりましょうよ」と声をかけてくれました。この時の言葉は僕にとってはかなり救いで、それからは一生科研費が通らなくてもこの研究を形にしてやるぞと思うようになりました。

そして2013年10月に科研費を再度申請。2014年4月に採択され、予算がつくようになりました。それからは洋書を片っ端から買ったり、学会に行って情報収集を重ね、歴史のデータベースを作ったり、澄川くんと一緒にプロトタイプ作りに試行錯誤する日々でした。いや、本当に試行錯誤しました。教科書から因果関係を700個くらい抽出したり、新聞記事のデータを5000件近く読んでラベル付けしたりしました。この時期は本当に血反吐を吐きながら研究してました。また、この期間に澄川くん経由で知り合った京都大学のアダム先生からも、専門的な助言をいただき、研究が大きく進みました。

そして、ある程度開発も進んだ2015年の全国社会科教育学会で、草原先生から課題研究「中等教育における主権者育成のための授業論」に歴史科の分野で発表しませんかというオファーをいただきました。ちょうど開発していたシステムの方向性とも合っていたので、ぜひと引き受けさせていただきました。事前にコーディネーターや登壇者の他の先生と原稿を見合っては助言をし合い、結局12ページくらいの発表原稿になっていました。当日の発表でも多くの方にお越しいただき、フロアの方々から多くの質問をいただきました。

この発表はきちんと論文にしようと思い、いただいた助言や質問をもとに修正を加えて、 2015年冬に『社会科研究』に投稿。いただいた査読にも何とか回答でき、2016年に採録になりました。

そして10月7日〜8日に開催された全国社会科教育学会の総会で、今回の受賞をいただいたのです。受賞を発表下さったのは、学会長の原田先生。そして場所は、偶然にも初めて訪問した際の兵庫教育大学ということで、感極まりました。(ちなみに授賞式は来年なので、着席したままジーンとしていました。)受賞後も、編集委員の先生から「自分のことのように嬉しいよ」と言っていただいたり、多くの先生方からお祝いの言葉をいただきました。
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ものすごく長くなりましたが、何が言いたいかと言いますと、今回の論文はこれまで書いてきたように多くの人と出会い、多くの人に育ててもらいながら書き上げられたものだということです。もっというと、科研費は税金から捻出されているものなので納税者の皆様のおかげでもありますし、研究以外は本当に何もできない僕をサポートいただいた大学の事務の方々のおかげでもあります(イタリアのナポリ付近の学会参加の際、事務の方が気付いて下さらなければ、僕はヴェネチアのホテルから会場に向かう羽目になっていました)。

なので、今回の受賞は「嬉しい」よりも「僕は恵まれてるな。ありがたいな。」という気持ちの方が強く、なんか昨日からしんみりしています。本当にみなさま、ありがとうございました

それと同時に、ようやく論文的にも「教育工学×歴史学習」の研究者になれ、「学際情報学博士」としてのステップを1つ進められた気がしました。次は、英語雑誌でのフルペーパー採録を目指しつつ、自分なりの教育理論や哲学を育てていきたいと思っています。

ありがたいことに、今年度も「オンライン上での協調的な歴史的類推を促すグループ編成システムの開発と評価」という題目で科研費をいただけました。査読中の論文1本、執筆中の論文2本と別の論文も頑張っていますが、こちらの研究もきちんと論文化できるよう心血を注いで頑張りたいと思います。

博論執筆、最後の苦悩

先日ようやく博士予備審査論文を書き上げました(現在審査の認定待ち)。

審査を通してまだまだ修正するとは思うのですが、とりあえず一旦書き上げたということで、脳内にへばりつく凄い研究者の考えから脱却しようともがいていたお話を書いておこうと思います。

最初に前置きをしておくと、僕の所属していた大学院は学際領域(学問と学問の間を扱う学問)という少し特殊なところです。僕の場合は、教育工学と歴史学と認知心理学を混ぜたような領域を扱い、「歴史を現代に応用する学習方法の開発」をテーマにした博論を書いています。今後の審査で変わる可能性は大いにありますが、現状をざっくり要約すると、以下のような感じです。

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1章:背景
歴史を現代に応用する力ってすごいメリットがあるし、
社会的にも教育的にも最近注目されているんだよ。
でも、どうやったら育てられるかは解明されていないんだよ。
だから、僕が歴史を現代に応用する力を育てる効果的な学習方法を開発するよ。

2章:研究の視座
でもどうやったらいいんだろうね。
認知心理学と歴史学習の先行研究を調べて大枠を考えたけどまだ足りないよ。
それを補うのにゲーミング・シミュレーションがとても良さそうだよ。
ということで、歴史を現代に応用する力を育てる効果的なゲームを作るよ。
ちなみに、さっきから「歴史を現代に応用する」って言っているけど、論理的には
①歴史上の因果関係を、現代の問題の原因を分析するのに応用する
②歴史上の色んな解決法を、現代の問題に対する色んな解決法を作るのに応用する
っていう2つに分解できるので、それぞれで効果的なゲームを開発するよ。

3章:実証研究1
歴史上の因果関係を、現代の問題の原因を分析するのに応用するゲームAを開発したよ。高校生を対象に評価したらちゃんと効果が確認できたよ。

4章:実証研究2
歴史上の色んな解決法を、現代の問題の解決法を作るのに応用するゲームBを開発したよ。高校生を対象に評価したらちゃんと効果が確認できたよ。

5章:結論(と考察)
メタな視点からゲームAとゲームBを統合して、歴史を現代に応用する力を育てる効果的な学習方法のモデルを作ったよ。
これで色々な領域にこんな良いことがあると思うよ。
まだまだ課題はあるけど、今後はこんな展望を持っているよ。
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さて、最初に研究の進め方を整理しておきます。一般的に研究は広い領域から始まり、徐々に領域を狭めて的を絞り、まだやられていないことを見つけて行います。そして、確実な方法で開発したり、実験したり、調査したりして、研究知見を生み出ていくわけです。最後に既存の研究領域でその研究知見がどういうインパクトを与えるかを考察します。

通常の研究だとこれで良いのですが、僕の大学院における博論の場合は3章と4章の実証研究1と実証研究2の結果から1つメタな結論を出して、うまく研究領域に還元しないといけません。つまり、5章の結論と考察では、A+Bを出すだけじゃダメで、X(A+B)みたいに1つメタなレベルにあげて、その上で自分の研究領域に位置づけて考察しないといけないわけです。

そしてこれは僕の主観ですが、パラダイムシフトを起こしたような凄い研究者は最後の「考察」の部分が極めてエレガントです。彼らはコンパクトで確実な研究知見でありながら、広く丁寧に整理した自分の研究領域に強烈なインパクトを与えていたり、隣接領域にもその知見が転用されたりしています。例えば、教育学者のデューイの ”Learning by doing” という考えは教育界ではもはや当たり前になっていますし、ポイント制のゲーミフィケーションも元を辿れば教育工学者のスキナーのプログラム学習や即時フィードバックの考えです。はたまた文化人類学者のレイヴの状況論という考えは、認知心理学的な教育観に対して大幅な方向修正をかけています。

もちろん、領域を絞っていけば誰もしていない領域はある訳で、「○○の領域ではやられていないんでやりました!」とか「もっと細かい知見が出ました!」で研究としてはOKです。でも、その研究知見を徐々に抽象化していくと、パラダイムシフトを起こした研究者が言っていることや、彼らが解明した要素と何も変わってないことが多々あります。例えば、「学習では経験することが大事だ!」はデューイだし、「やったことに対してポイントを与えると学習のやる気が出る!」はスキナーの延長だし、「学習には環境とか状況を考えるのが大事なんだよ」はレイヴの延長なわけです。

要するに、コンパクトで確実な研究知見を徐々に抽象化していき、考察で既存の研究領域に位置づけるとどうしてもパラダイムシフトを起こした研究者の2番煎じになりやすいんです。何度も言いますが、もちろんそこまで抽象度を上げる必要はないですし、それで研究の価値が決まるわけではありません。例えば、”Learning by doing”が抽象度100だとして、抽象度60くらいでオリジナリティが出ればすごいと思いますし、抽象度10で2番煎じになる研究に対して批判しているわけではありません。ただ、抽象度を落とさないと自分の研究の新規性を確保できないのが僕個人としては何かすごく悔しかったんです。研究者のプライド的に。

僕の場合、「歴史的類推を現代の問題解決に応用する力を育成する学習方法の開発」が研究テーマで、もちろんこの学習方法を開発すれば研究としては良いのかもしれません。ただ、おそらく研究者として最も熱量のある博士論文で、デューイとかスキナーとかレイヴの知見を超えるようなポテンシャルを持つ抽象的な研究知見を出せなければ、今後もう一生彼らを超えることはできないだろうなと漠然と感じていました。

しかも、彼らの時代と比べてインターネットも発展していて論文の収集速度も格段に上がっています。それに、僕は「歴史」というポテンシャルの高い情報をベースに、「学習の転移」というこれまたポテンシャルの高い現象を扱っているので、たぶんデューイもスキナーもレイヴも、もっといえばヴィゴツキーもピアジェもブランスフォードもブルーナーも見つけられなかった知見が潜在的に隠されている確信もありました。

こんなお膳立てがあるにも関わらず、彼らを超えるような抽象度100の思考とか学習方法とか、教育の新しい方向性を切り開けるポテンシャルのある発見が出せなければ、それはもう根本的に研究者としてのセンスがないんじゃないだろうか。そんな不安をずっと抱えていました。

それからは結論で学習方法を出すたびに、それを抽象化(モデル化)してパラダイムシフトを起こした研究者の知見と比較するようになりました。ところが、毎回「これは結局○○だよな」という事態になってしまう。なぜなのかとずっと考えていると、結局、僕は彼らの思想というか思考枠組みの中でこれまで研究してきたので、彼らの思考枠組みから抜け出すことができなかったんだと気付いたんです。「じゃあ、まっさらな頭で考えればええやん」と思われがちですが、一度染み付いた思考枠組みから抜け出すのは非常に難しく、苦々しく感じる期間が3ヶ月くらい続きました。

今もそこから抜け出せているかはわからないんですが、そんな時に光明を与えてくれたのが、高校でやった実践の一次経験でした。僕は高校生に行った実証研究2つを柱に博論を書いているのですが、分析上、彼らの活動中の音声データを全部文字おこししていたんですね。で、ひたすらそれを読みつつ、彼らの表情とか感想とか普段の教室の表情とか彼らとのやり取りを思い出したり、そもそも自分は現代において何でこんな研究をやろうと思ったのかを思い出したりしているうちに、何かぼんやりと見えてきたものがあったんです。そしてそのぼんやりしたものをもとに自分の論文の結論を読み直すと、「あ、ここはこうじゃない」とか「この研究者の言っていること、何かここが足りていない」とかが見えるようになり、まだまだ不十分だという自覚はあるものの、何とかそれなりに納得できる結論を書くことができました。

もちろん自分の経験則だけで研究を書くのは御法度で、文献とか研究レビューを徹底期にするのは必須事項です。ただ、特に教育系の研究の場合、パラダイムレベルの知見を出す本当に最後の一歩には、実践の風景の記憶とか、生徒とのインタラクションとか、教室の雰囲気とか、現代の社会とか、その中の自分とか、そういう原体験がとても重要なんじゃないかと思いました。

まだ博士号取ってないのでこれが最後の苦悩かも怪しいし(笑)、たぶんこの苦悩はまだまだ続くし、そもそも抽象度30くらいで2番煎じになっている博論になるかもしれないのにこんなことを書くのもどうかとも思いましたが、鮮度が落ちないうちに書き留めておきました。博論を書く人の役に立つとは思わないけど、暇つぶしにでも読んでもらえれば幸いです。

ちなみに僕の大学院は学際領域ということもあり、博論の審査には分野の違う先生が5人ついていただくことになっています。どんなアカデミックなやり取りがされるのか修士の頃からとても楽しみにしてきたので、こちらはこちらでしっかり準備を進めて、博士号取得に向けて頑張りたいと思います。

おしまい。

研究者として枯れないために

僕は博士課程に上がると決心した時、不安に感じていたことが1つだけありました。それは「お金が稼げない」とか「人とのキャリアの足並みがずれる」とかではなく、「いつか研究者として枯れないか」という不安です。

例えば、いつまでも過去の栄光にしがみついて次第に重箱の隅をつつく研究者になったり、色んな領域に手を出して軸のぶれた研究者になったり、1年でできる目先の研究に追われて重厚な研究群を構築できない研究者になってしまうんじゃないかと不安に思っていました。

どんなに情熱に溢れ、素晴らしい博論を書いたとしても、それは大学院時代の5年間レベルの産物であって、偉大な研究者が残した何十年レベルの重みに比べたら比較にならないことは明白です。つまり、偉大な研究者になりたいなら、博士課程「後」に研究者として枯れないための方法を構築しておかないといけないと思ったのです。

そうやって山内研の博士課程で3年過ごしているうちに、ようやくその鍵らしきものが5つ見えてきたので、長くなりますが書きたいと思います。


(1)積み立てる意識で研究群をまとめあげていく
これは博士論文の構造を考えている段階で一番強く感じたことです。僕の所属している研究室では、博論を書く際に少し特殊なスキルが必要になります。それは、大学院時代に行ったAとBの研究を水平的につなげたり、AからBに掘り下げていくイメージでつなげるのではなく、AとBの研究群を使って一段レイヤーが上の研究Cを作るスキルです。これが実はかなり難しく、大目的をブレイクダウンしてAとBの小研究を作るのですが、その小研究の結果の足し算以上の大結果を作ることが要求されているのです。演繹思考だけでも帰納思考だけでもない、この積み立てていくような特殊な思考で研究群をまとめあげていくことが、偉大な研究者になれるかどうかの1つの鍵になるんじゃないかと踏んでいます。

(2)20%は研究外のものに接して「特殊な視点」を身につける
これは博士課程2年の頃に感じていたことなのですが、実は自分の専門領域ど真ん中の先行研究レビューは、頑張れば院生時代に終えることができます。実際僕の場合、「歴史学習」や「歴史的思考力」に関する論文は国内外含めて200本くらい読みましたが、質の良い論文は大体押さえた印象があります。ところが、先行研究の全体像がわかっても、そこから出てくるリサーチ・クエスチョンが鋭くなるとは限りません。この原因は「視点の固定化」にあります。つまり、どれだけ論文を読んでも今までと同じような切り口しか見えなくなるという感覚です。こういった視点の固定化を防ぐ方法として、研究時間の20%は歴史学習や教育学以外の学問の本を読んだり、研究対象である歴史を学習している生徒の観察に行ったりしていました。実際、僕が次にやろうと思っている研究は系統学や文化人類学や高校生の生活スタイルについての話から色濃く影響を受けていて、ようやく自分の思考の殻を一つ破れた気がしています。この殻を破るのに実に1年半程かかりましたが、こういった活動の余裕は確保しないといけないなと痛感しているところです。

(3)心地よいエコシステムに閉じない
最近はTwitterやFacebookなどを使って色々な人に情報発信ができるようになったことで、人から研究を肯定的に評価されたり、コラボレーションの機会が増えて研究者の存在価値を見出したり、自己効力感が高まることが多くなってきていると思います。それはそれで結構なことなのですが、自己効力感が高まることに快感を感じすぎて専門とずれたことに力を注ぐようになったり、自分にとって心地良いエコシステムに閉じこもることで批判が少なくなり、研究の強度が弱くなる危険性もあるように感じています。例えば博士課程3年の頃には、普段行き慣れている学会とは毛色の違う学会に行ったのですが、いつもとタイプの違う批判を受けて研究自体がかなりタフになった印象があります。こういった、一見心地よくないエコシステムは屈強な研究にするのには必要な環境であり、研究者としての視野を広げる意味でも不慣れな領域に足を突っ込む勇気が必要だと感じています。

(4)社会との差分を0にしない
研究者の存在価値は、社会で働いている人が持っていない知識や見方を持っている点にあります。だからこそ、研究者がコンサルタント的なことを行うこともできますし、僕も企業や学校からそういう依頼を受けたことがあります。ただし、同時にここで重要なことは、研究者である自分と社会との差分を0にしてはいけないということです。研究が生まれるスピードと社会が知見を吸収していくスピードはいまや完全に非対称な状態です。そのため、常に現在の社会から「2歩先」くらいを見据えた研究構想を立てる必要があるように感じています。これは、指導教官を見ていて強く感じたことです。

(5)チームで研究できるようにする
研究者として枯れないための最後の鍵は、チームで研究できるようにすることです。今の時代、高クオリティの研究を行うには一人の研究者では限界があります。例えば、僕は歴史の学習方法については専門性がありますが、学校での授業を兼任することは難しいですし、高度な歴史学的知識も持っていませんし、歴史の史料の著作権も持っていませんし、大規模なシステムやデータも持っていません。特に開発研究の場合、これらをうまく連動した研究を展開することが研究のレベルアップには必要になっています。そのため、前回の山内研ブログ【研究発表のこだわり】チーム感を作るでも書きましたが、自分の研究の強みを意識し、複数の強みを持つ人が集まった時にチームでの研究が想像できるようなビジョンを提示できることは非常に必要なスキルになってくると考えています。

と、つらつらと書いてきましたが、果たしてこれで研究者として枯れないかどうかはわかりませんので、つまんない研究者になりかけていたらビシバシ叱って下さい(笑)

さて、最後になりましたが、山内研の博士課程、とても楽しかったです。何だかんだんで「研究が楽しい」と思い続けられることが、研究者として枯れないための一番の秘訣かもしれません。

また、上記のように研究者として大事なことを考える機会もたくさんいただきました。
お世話になったみなさま、本当にありがとうございました。
今後も面白い研究をしていきますのでどうぞよろしくお願いします!

研究発表の場でチーム感を作ることの重要性

2012年は、教育工学系の学会、社会科教育系の学会、教育メディア系の国際会議、大学教育系の学会、歴史学者が集まる研究会、高校の副校長が集まる研究会、社会人が集まる研究会など、とても多様な立場の人に向けて「歴史を現代に転移させる方法や教材」について研究発表をする機会がありました。

今回はこのような経験を振り返り、自分の研究を多様な人に伝えることに重点を置いた研究発表のこだわりを書き留めておきたいと思います。テーマはずばり「研究発表の場でチーム感を作ることの重要性」です。

■なぜ研究発表の場で「チーム感」を作ることが重要なのか
ある学会で他人の発表を聞いていた際のことでした。その学会の、おそらく重鎮クラスの教授がその発表者に対して以下のような質問をしていました。

「あなたの研究知見は面白い。ただ、それは○○学会にどのように貢献しうる知見なのか?」

この質問は「研究」という活動においては非常に重要なものです。というのも、「研究」の強みは、ある研究領域の問題に対して世界中の研究者が何十年もかけて分担して取り組み、漸進的に解決していける点にあるからです。別の言い方をすると、既存の研究群に位置づけられない研究はほとんど価値がありません。
たまに先行研究を調べずに自分のやった研究知見だけをアピールする人や、数本の先行研究の批判をしてすぐに自分の研究の話に移り、結局大きな研究群の何に貢献したのか不明な人を見かけます。もちろん発表者が自分の研究をその領域の研究群に位置づけなかったとしても、誰かがレビュー論文を作る際にあなたの研究を研究群に位置づけてくれる可能性はあります。
しかし、これは僕が肌で実感したことですが、自分で研究群の全体像を提示した上で自分の研究を位置づけ、他の研究(者)とどのように関連するのかを提示できれば、一気に発表の場が活性化します。そして、これも体感ですが、この「チーム感」が作れると、それぞれの研究領域を分担している聴衆から、その研究領域における大きな目標達成に結びつく建設的な質問やコメントをしてくれる率が高くなります(もちろん研究に突っ込みどころがなければの話ですが)。また、自分の研究の強み(聴衆との違い)もきっちりと伝えことになるので、コラボレーションできる可能性も高まります。しかもこれはアカデミックな場に限った話ではありません。特に僕のような教育の分野では、実践者とのチームを作ったり、産学連携のチームを作ることは必須になってきています。この点でもチーム感を作ることは重要だといえるでしょう。

■研究発表の場で「チーム感」を作る方法

では、どうやったら研究発表の場でこの「チーム感」を作れるのでしょうか。ポイントは「チームを知ること」と「チームと自分の関係性を示すこと」の2つです。

(1)事前に作りたいチームの構成状況を知っておく

これは研究における最も基本的な作業で、いわゆる先行研究のレビューに当たる部分です。より多くの聴衆をチームに巻き込むには、より広い範囲の先行研究を調べ、その構成メンバーを知る必要があります。つまり、自分の研究と直接関係なくても興味を持って自分の研究領域の論文を調べておくことがポイントになります。
また、研究者が集まる場以外で発表する際は、自分の研究領域の先行研究調査だけでは不十分です。例えば教師が集まる場であれば、授業の制約や広く教師が悩んでいることを知っておくことが大事ですし、企業の人が集まる場であれば会社の仕組みや今社会で重視されていることを知っておくことが大事です。そこで、普段から学校に足を運んだり、教師にインタビューして学校教育の状況を知ったり、企業の人と交流して会社の仕組みや今注目されている社会的動向を知っておくことがポイントになります。また、自分の専門でない領域でも臆さずにどんどん参加して、自分の肌で様々なチームの構成状況をイメージできるようにしておくことも大事です。

(2)チーム感を意識させる発表をする

下調べができたら、それを最大限に活用しながらチーム感を意識させる発表を行います。ポイントは導入と考察の部分です。
導入部分では、その研究発表の場に集まっている人の属性を考慮に入れたり、事前に調べた領域の知識を利用して共通の大きな研究目標と自分の研究の立ち位置を話すことがポイントです。例えば僕は「歴史を現代に転移させる力を育成する高校生向けの教材開発」を行っているのですが、高校の教師が多い場では最初に高校のカリキュラムの話を振って自分の教材を使うタイミングを話したり、小中高の子どもの思考力に関心のある研究者が多い場では小中高で求められている思考力の連続性や違いを話してから本題に入るようにしています。また、メディア系の研究者が多い場ではメディアの種類を振って自分のメディアのタイプを話したり、歴史学者が多い場では歴史哲学の話をしたこともあります。もし発表時間が長いのであれば、「背景」の最初の大きな話としてこの部分のスライドを1枚作成することをオススメしますが、時間の制約があってスライドを入れる余裕がない場合でも、タイトルを話す前に口頭で軽く触れておくと良いと思います。また、学会以外の場で発表する場合は、この導入部分をより丁寧に話しておかないとチーム感が出なくなるのでより注意が必要です。これらの導入部分の説明によって、まずは「チームの枠」を意識させることができます。

 チームの枠ができたら、次に自分の研究知見がそのチームにどう還元するかを提示するのがポイントになります。これは主に「考察」で行います。研究発表の場合、考察では知見をより詳細に分析するミクロなベクトルと、自分の研究知見が研究群にどう還元されるかを検討するマクロなベクトルの2つがありますが、チーム感を作るには特に後者のベクトルが重要です。学会発表であれば事前に調べていた自分の専門領域に還元するだけで十分ですが、より多様な人が集まる場での発表の場合、もう一工夫する必要があります。まず、聴衆は徐々に発表者の研究に意識化しているはずなので、最初に全員の視点をメタに戻すフリが必要になってきます。そして次に、自分の研究知見で使った学術用語を、事前に調べていた他分野での用語に翻訳し、チームの枠内にある複数の領域(共通の大きな研究目標に対して分担している部分)を繋げる仕込みをします。そして最後に、チームの枠内にある複数の領域同士の関連性を考察し、自分の研究が貢献できるポイントや、逆に自分の研究の限界点を話します。例えば教師が多い場合、僕は考察の部分ではこんな風に話します。

「さて、歴史を現代に転移させる力を育成する高校生向けの教材開発の話をしてきましたが、ここで最初に話した歴史教育のカリキュラムの中で、この知見がどう位置付くかを考えてみたいと思います。背景でも説明したように、従来の歴史学習の先行研究では歴史の分析や解釈を支援する教材は開発されてきましたが、学習指導要領で重視されている「活用」の部分を支援する教材はほとんどありませんでした。私の発表では「転移」という用語を使っていますが、これは学習指導要領で重視されている「活用」に近い用語です。そのため、歴史教育のカリキュラムの中の「活用」の段階に提示する教材の設計理念やインストラクションの点で貢献ができると思います。ただし、教師がどうファシリテートしうるか、生徒同士をどうグルーピングするか、前後の授業はどうしたら効果的なのかはわかっていませんので、そこが本研究の限界点です。」のような話し方です。また、もし複数の領域の人が聞いていて、かつ時間に余裕があるならば、他の領域に対する別の考察を何度か行うようにしています。実際、2012年では様々な領域の人とチームを組めるようになりました。

研究は個人では力を発揮しません。研究者に対してでも、実践者に対してでも、社会人に対してでも、チームを組めるかどうかが非常に重要な時代になっています。今後も色々な人とより大きな目標を達成していければと思っています。

高校生向け学習イベントをハードファンにするコツ

 先日、とある高校で大学教授が機械工学を実際に体験してみようという高校生向けの学習イベントが行われ、僕もたまたま参加させてもらいました。

イベントの流れとしては以下のようなシンプルな構成ですが、大学側が学問的な内容で高校生にイベントをする際に(おそらく)意識されていた仕掛けが2つあり、それが面白かったので簡単に紹介を。

*イベントの流れはこんな感じ

1 機械工学ってどういうものかの説明(パワポで)

2 社会でどれだけ役に立っているのかの説明(パワポで)

3 機械の簡単な仕組み「リンク機構」を高校数学で解説

 (リンクと呼ばれる棒が2本くっついた三角形に円運動をさせる仕組み)

4 厚紙と分度器、コンパス、ハトメなどを用いて高校生がリンク機構を設計する

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(1)実際の機械の仕組みを学校の数学に結びつけまくる

 とても印象的だったのが、三角形がジョイントされた棒2本でぐるぐる円運動する構造を説明する際に、で全て説明し、逐一「これは三角平方を使えば出せます!中学校で習ったやつですね〜!これは余弦定理で角度が出せますね!高校2年生で習うやつです!」と学校のカリキュラムに引きつけていることです。

 実際に4で行う機械の仕組みの設計自体は大学2年生レベルのもので、ちょっと敷居が高い感じもしたのですが、これだけ「習ったことを使ったらできるんだよ!簡単簡単」「これなんかとっくに習ったもんね!」と念を押すことで、課題はハードそうだけど自分たちにでもできるんだと思わせ、いわゆるハード・ファンな活動にチャレンジさせる流れができていました。

 工学にしろ、歴史学にしろ、大学で行っている学問的な内容を扱うとどうしても高校の教科とのギャップを感じさせがちですが、普段学校で習っていることとつなげてあげることでチャレンジ精神をキープさせられ、その学問の持つファンな部分に到達させられるんじゃないかと思います。

(2)教科書の世界では生まれない、緩くて面白いトラブルを起こす

 もう1つ印象的だったのが、機械を作ってみてはじめてわかるトラブルがぼこぼこ生まれていたことです。

 今回の場合は、可動する三角形の大きさを5種類用意し、どういう起動で円運動させたいかを生徒一人一人に決めさせていました。基本は自分で決めた3点を通る軌道に通るようにリンク機構を設計させていたのですが、軌道を楕円にする子もいれば、8の字にチャレンジする子もいました。

 自分の好きな軌道で設計しているので、当然ここからはどんどんトラブルが起こります。しかし、これがまた座学では体験できない良質なトラブルで、しかもギリギリ乗り越えられるトラブルなのです。ここでは3つ紹介しましょう。

1. ある生徒は、好きに軌道を描いてそれに合ったリンクの動きを求めていたら、案外リンクが長くなってしまい、紙からはみ出してしまったんです。その後、もう1枚紙をもらって、今度はどうやったら紙に収まるようにできるかを考えていました。同じ問題を抱えて考えているうちに指をパチン!と鳴らす子もいました。

2. ある生徒は、軌道を通る動きはできたものの、機構の動きが思ったよりもぐるんぐるんしなくて「なんか動きが小さくなってつまんないんだけど、何でだろう?」と隣の生徒に話しかけていました。2人はその後、大きくぐるんぐるん動く要因を考え、「2本の棒(リンク)が同じ長さになると小さくなるんじゃないか」など色々な仮説を出し合い、他の生徒の作品を見ながら仮説を確認していました。

3. また大多数の生徒は、三角形とリンク(棒)になる紙をハトメでジョイントすると、三角形がリンクに引っかかってうまく1周しないというトラブルが起きました。これが非常に面白くて、2次元で図形を書くだけだとうまく1周回るはずなのに、実際に作ってみると3次元なので「層」をちゃんと意識しないと回らないんですね。生徒達は指で無理矢理ぐにぐにまわしてみたり、紙同士のジョイントの順番を変えたりしながら、原因を探り、徐々に層の必要性が大事なんだとわかっていっていました。

 こういうトラブルに共通していることが「リアルな世界でのトラブル」だという点です。「高校の教科で習ったことを駆使すると、機械って作れるんだ!」と思わせつつも、「ノートと教科書の世界だけじゃうまくいかないこともあるんだなあ」とも思わせているんですね。そして、そのトラブルは模擬試験のように解答へのアプローチが全く思いつかないレベルではなく、実際に手を動かして試行錯誤を重ねることで帰納的に解答へのアプローチが見えてくるレベルになっているのが特徴的な点です。

まとめると、今回のイベントでは高校生に対して、

高校までに習った内容と強烈に結びつけて「やれる感」を与えてあげること

普段の教科書内の世界では体験できないトラブルを生み出して試行錯誤を促すこと

の2つが仕掛けが盛り込まれていたと思います。

「高校生が簡単にこなしてしまって盛り上がらない」

もしくは

「内容が難しくなりすぎて高校生がついてきてくれない」

と悩んでいる方は参考にしてみてはいかがでしょうか?